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2008年8月20日 (水)

権利の市場化(排出権)

 「排出権」でITでアクセスすると236万件も出てくる。ほとんどがその取引に関するものだ。
 「排出権」売買とは、ようするに環境を「汚染する権利」であり、もっと環境を汚したいと思うものが、その権利を購入するという仕組みのことだ。

 同志社大学の郡嶌孝教授の「論文」に面白いのがあったのでその一部紹介する(「環境社会に向けた動き2008」に収蔵 特定非営利活動法人環境安全センター刊)

 公害問題が深刻な時代、「きれいな空気を享受する権利」として「環境権」が主張されたことがあった。特にわが国では欧州大陸法の影響もあって、「環境権」は憲法における「基本的人権」にその根拠を求める法解釈に試みもなされてきた。

 いま地球環境問題の時代となり、「環境権」は「汚染権」「排出権」に姿を変えた。市場環境主義の立場にたてば、環境破壊の原因は、環境の所有権が確立されてなく、はっきりしないことにあり、そのため、市場での取引ができないことにある。そこで汚す権利(排出する権)を設定(キャップ)し、希少性をもたせ、価値(価格)を与え、その売買(トレード)が可能になれば環境問題は解決することになる、しかも、R.コースによれば「環境権」であろうと「汚染権」であろうと、権利化し、市場化することが重要であり、権利がだれにあるかは問題ではない。

 この論理を根拠に「汚染する権利に対価(CO2を大気に排出・使用する使用料・価格/大気を汚染する税(炭素税)であろうと)を支払い汚染する」「獲得した排出権のもとで削減し、それによって行使しなかった権利(排出権=排出量)を市場で売買する」「排出権を購入することによって削減できなかった量を相殺する権利を行使する」ことになる。しかし、この売買によって総量としてCO2が削減されるというわけではない。排出権制度とは認められた排出総量を確実に効率的に遵守する手段である。

 この排出権取引は、1970年代後半から米国において試みられ、そこでの経験をもとに、京都議定書では京都メカニズムとして削減努力に変わる柔軟措置として導入されてきた。さらに2003年より英国で、そして、2005年よりEU域内でEU-ETS(EU排出取引制度)として導入され、米国では州レベルでの試みがなされ、拡大してきた。その対象も空中開発権・排出権(硫黄酸化物・廃棄物処分量・二酸化炭素)へと対象も拡大してきた。

 このような情況のもとで、わが国でも、俄かに、この環境ビジネスに乗り遅れまいと排出権取引の議論が現実味を帯びてきた。わが国では金融セクターを中心とした産業セクターの関係者がその導入を主張し、鉄鋼・電力といった省エネ努力を重ねてきた産業セクターの関係者が反対を表明している。環境問題はいまや単なる環境問題でなく、政治・経済問題でもある。そして、経済問題とは経済利害問題である。排出権取引はいずれリスクヘッジと金融工学に基づいたデリバティブによって先物市場化し、いずれ金融商品としてマネーゲームの投機対象となろう。宇沢弘文先生は「割り当てを超えて排出量をカットしたとき、それを『排出権』と称し、あたかも自らの努力で獲得して、マーケットで売買して儲けようという、人間として最低の生きざまです」と述べている。今や鉄鋼・電力は「抵抗勢力」であり、金融は「カーボン・ビジネス」を推進する「環境勢力」となる。いまだかつて、わが国の金融セクターが従来から地道に環境問題の解決に努力してきたという事例は、いくつかの地方銀行を除いて、聞いたことがないのは私だけだろうか。オフセットのマネーゲームにアップセットする人はどれだけいるだろうか。温暖化に真面目に取り組み、削減する努力が報われず(アリ)、マネーゲームによって解決する(キリギリス)とする欧米の政治力学における経済的解決に遅れをとっているとするわが国の論調は、まるで、本来の童話「アリとキリギリス」ではなく、サマーセット・モーム流の「アリとキリギリス」ではないか。


排出権=(環境を)汚染する権利とは言いえて妙である。
続きを読みたい方や他にも環境に関するホットな情報が欲しい方はそれが満載されている「環境社会に向けた動き 2008」をお読み下さい。
 お問い合わせは:特定非営利活動法人 環境安全センター(TEL/FAX 075-751-8580)へ

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