性善説・・・
面白い記事があった。社員をどのように扱えば業績を上げられるか・・・雑誌「プレジデント」が配信しているブログ記事5月10日配信より・・・
不況で業績が悪化すると統制的な手法で組織を締めつけ、業績を上げようと試みる経営者が多くなる。一時的には業績が上がるかもしれない。ただ、長い目でみると多くの場合、従業員の士気を低下させ、組織を疲弊させるだけの結果に終わる。
この問題を考えるうえで参考になるのがマグレガーの「X理論・Y理論」である。
X理論とは、単純に言うと性悪説である。人間は生来怠け者でできるだけ仕事をしたくないと思っている。従って大抵の人間は統制や命令、あるいは処罰で脅されなければ企業目標の達成に十分な力を出さない。また、普通の人間は命令されるほうが好きで、責任を回避したがり、安全を望むという考えである。
これに対しY理論は性善説である。人間は生来仕事が嫌いということはなく、条件次第で仕事は満足感の源にも懲罰にもなる。従って統制や命令、処罰だけが企業目標の達成に力を発揮する手段ではなく、やりがいのある仕事を与えれば人は自ら働く。また、普通の人間は条件次第で責任を引き受けるばかりか、自ら責任を取ろうとするという考えである。
このようにX理論・Y理論は学者の理論ではなく、実務家の人間観を分類したものだ。マグレガーは、Y理論で経営を行っている経営者のほうが高い成果をあげていると主張している。
確かにそれはそうだろう。信じて任せたほうが人は力を発揮する。時々悪いことをする者もいるが、それは一部である。
ところがY理論を採用しない人たちもいる。株主や投資家だ。経営者や従業員は放っておくと何をしでかすかわからないから内部統制を導入し、しっかり監視しなければいけないという考え方はX理論に通じている。
だが、会社のすべてなど監視しきれるものではない。内部統制は企業の足かせになっているのが現状だ。
また、経営者が短期的な成果を追いかけると、X理論的な方向へ行きがちになる。厳しいノルマを課し、裁量は与えず、目標を達成できなかったらペナルティで追い立てる。しかし、そんなやり方をしたら会社がおかしくなってしまう。
先日、四半期決算を始めてから日本の会社はおかしくなったという趣旨の記事がブルームバーグ・ニュースに掲載されていた。ファイナンス情報の媒体でさえそういう主張をするのである。短期的な数字にとらわれてはいけない。
一方、長期的な成果を求めれば、自ずとY理論による経営になる。典型的なケースが2002年に日本経営品質賞を受賞したネッツトヨタ南国であろう。
自動車は日本を代表する産業であるにもかかわらず、その販売店の就職人気は非常に低い。自動車販売に付きものの訪問営業や厳しい販売ノルマが敬遠されているのである。
そんな業界の中でネッツトヨタ南国は皆が嫌がる訪問営業や販売ノルマを廃止する一方、既存顧客へのフォロー活動に注力した。お買い上げいただいたお客様を訪問し、車を清掃したりメンテナンスを行ったりするのである。これならお客様に喜ばれ、社員はやりがいを持って仕事に取り組める。その結果、同社は今年1月、一月として過去最高の販売台数を更新した。
ただし、そんなネッツトヨタ南国の経営も最初からうまくいったわけではない。Y理論のアプローチだと成果が出るまでに時間がかかるからだ。
だが見方を変えると、時間をかければ会社を良くできるということでもある。業績が低迷すると短期的な数字を求めX理論に走りたくなるが、そこを辛抱するのが真の経営者である。
Y理論に基づいた経営を行えば、社員のミスも出てくるだろうし、すぐV字回復ということにはならない。だが、それを承知で10年先、20年先には必ず良くなるという長期的視野で取り組むことが大切だ。
そうすれば社員も「ここは良い会社」と感じて懸命に働いてくれるだろう。
公務員の職場も最近のマスコミ論調などで、理事者や職員は放っておくと何をしでかすかわからないから内部統制を導入し、しっかり監視しなければいけないという考え方が蔓延し、市民への説明責任と称してやたら非効率なことが行なわれるようになってきている。
市民との関係も逆転したかもしれないが、「垂直の関係」というのは変わっていない。官の非を鳴らすは大いに結構だが、そこからどのような関係を結んで行くのか、「上下関係」からの脱却こそ必要なのではないか。

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圧倒的支持を受けて登場した李明博(イ・ミョンバク)大統領の支持率が急速に低下している。日本の福田内閣の支持率とよく似ている。
米国産牛肉の輸入は再開され、骨などの禁忌品が混入しても、手違いとされ、引き続き輸入はなされているし、どれだけ、ガソリンなど燃料費が上がろうと、また、諸物価が引き上げられようと、従順な仔羊を装っている。
先月末に環境自体会議で山形県遊佐町に出かけていた。そこで興味深い取組みを知った。



風光明媚で「ナポリを見て死ね」などで有名な、イタリア・ナポリがごみで埋没死しそうだ。
さて、その野蛮国のえげつない金儲け?について経験した。
「ご心配なく。たいしたことはありません」「何でもありません」。記者会見場に現れるぐらいだから別に心配はしていない。「何でもない」のに顔に大きな絆創膏を付けて人前に出てくるやつは、気を引こうとする目立ちたがり屋か思考回路が常人でないということではないのか。
さて、国や自治体をはじめ多くの企業や団体が「地球温暖化」の取組みをすすめています。「温暖化」にビジネスチャンスを見出す企業まで現れ、積極的な製品開発や営業活動が行なわれるようになりました。原発までが「温暖化対策」の優等生扱いです。(環境問題は、総合的観点から進められるべきで、環境に与える影響では、とても優等生とはよべません。)
事務所費問題でシラを切りとおし、真相と一緒にあの世に旅立った松岡農相の後釜に、安倍総理の指名で座った「赤城徳彦」農相が、またぞろ「事務所費」で疑惑まみれだ。
臣は長崎選出の国会議員でもある。
ミズバショウは終わりかけで、花の端境期といった風情でしたが、湿原をわたる爽やかな初夏の緑の風に心を癒される気分でした。


昨年、指宿で開催された「環境自治体会議」の全体会議でドイツのゴテリンド・アルバーさんからEU内での「気候同盟」の活動の紹介があった。14カ国、約1300自治体が加盟し、京都議定書以降(2010年)の枠組みなどを考えた活動をしているなどの報告が行われた。
昨年末、TBSで「郵貯のATM」がどんどん撤去されている、という報道があった。映像は京都の舞鶴高専だった。(写真は、舞鶴高専のATM撤去風景)
今年は、大ホールでの市民による「文化祭(ちょっとはやめの忘年会)」や手作りの軽食お店、リサイクルバザーなども開催され、例年に増してにぎやかな催しとなった。
市民会館の大集会室では、入るといきなり航空写真による豊中全図の大パネルが床一面に・・・みんな自分の家や学校などを探している。北部にはまだいくつか緑が残っているように見えるが、改めて緑の少ない町だと感じる。
今日は、青年部が午前中、午後から書記長と委員長がお手伝い。駐車所出口での交通整理。
友人が出した喫茶コーナーは130食ぐらい売れたとか。水労の焼きそばも完売。市職や市従の担当部署も大忙しだったとのこと。
この数ヶ月は、「タダ」のうちにという、非常に大阪的な発想からか(大谷晃一さんの「大阪学」に大阪人の判断基準は、「善悪」でなく「損得」とあったが・・・)大変な量が搬出された。
まっていること。だから今日は、その使い道に対する「市民からの提言」というあらたな自治の試みを期待していたのだが・・・
さて、提言だが、様々な意見がが出され、なかなか興味深いものとなった。多かったのは「生ごみ」や「市民参加」などの分野だった。いずれ内容が主催者から出されると思うが、そのときまた紹介したい。
本日府本部の組織集会が本町で開催された。
「勝者も敗者もなく」は松原氏の著書だが、まさに真の勝者は選手会でもなければ、オーナーでもなく、ファンでなければならない。という意味を込めたメッセージと受け止めた。
と、同時に、縦割り行政の弊害が厳然とし存在している。競争の前提条件として、公正労働基準や法定基準(障害者雇用率)、市の政策(男女共同参画・環境・福祉など)を反映させた「総合評価」による入札制度(豊中は次年度実施予定でその説明のために参加した)についても、そのことによって落札価格が引き上げられるのでは?といった懸念が表明される場面に出くわす。
ごみピットの上部に設置してある、大型ごみなどせん断破砕機が、ごみ詰まりのため停止。
担当者をはじめ従事者は暑さとほこりと特にはかどらぬ作業にくたくただった。(作業が思惑通り進むと、結構疲れは吹っ飛ぶ)従事者は述べ20人近く。消火栓による放水。業者も動員。相当の金額になるだろう。
今朝、工場の敷地内の出口門の付近に建設廃材の不法投棄。